戦後間もない昭和22年。時代が統制経済から自由経済へと動くなか、宮地清一は早川合名会社から分離独立。
同年3月8日、福山市の松浜町に資本金19万5千円で広島護謨工業株式会社を創業する。
敗戦のショックから立ち直りの兆しをみせていたころとはいえ、戦後の動乱の中、不安を抱えながらの船出であった。
− 会社沿革 −
1947年(昭和22年)
創業
広島護謨工業株式会社
昭和23年頃の松浜町周辺
創業者・宮地清一
昭和23年新年互礼会 社員61人
1947年(昭和22年)
更正タイヤの製造
自転車チューブの生産
創業時の主要製品は、更生タイヤ(現在のリトレッドタイヤ)。タイヤの使ってすり減った部分にゴムを肉盛りして再生させる。圧倒的にモノ不足の戦後にあって、とても重宝された製品である。さらには、自転車のタイヤやチューブなどを生産し、「ゴム」に長けた企業として着実に歩みを進めていった。
1948年(昭和23年)
総ゴム草履・靴の製造開始
総ゴム草履
第1号宣伝車(昭和26年)
「強くて長持ち」と広告でアピール
遊覧飛行への招待
緒抜けしない総ゴム草履や総ゴム靴、布靴などの生産を開始。
このとき、“世界に飛躍する企業”としての成長を願って、商標としてツバメマークをシンボルマークとする。
ツバメマークの誕生を機に、宣伝車を走らせるなど“強くて長持ち”つばめ草履の拡販宣伝に努めていった。当時では珍しい遊覧飛行へ招待するなど、大きな注目を集める。
1953年(昭和28年)
躍進
スポンジサンダル生産開始
ビーチサンダル
当社の躍進のきっかけとなるビーチサンダルの生産を開始。軽くて丈夫で長持ちするこのサンダルは、当時の常識を破った製品で、小判型の草履から足型に進化させ、用途も作業用ではなくレジャー向けのものとして開発された。
1956年(昭和31年)
輸出で業績拡大
国際見本市
展示会(シンガポール)
当時、国内はレジャー用途の需要が少なかったものの、輸出商品として業績に大きく貢献。
昭和31年、ビーチサンダルは順調に発展を遂げる。その裏では、オリンピックで水泳選手団の土産品として取り上げてもらったり、大阪、東京で開催された国際見本市に出品するなど、販路拡大のための努力を積極的に行った。
1956年(昭和31年)
事業の多角化を標榜
ビニル雨衣の生産
事業の多角化を目指して、時代の先端を行くプラスチック製品の分野に進出。
塩化ビニルフィルム・レザー皮革の生産を開始した。
履物代理店ルートを利用すべく、雨衣製品の加工生産も行った。
1958年(昭和33年)
工場の拡張
昭和30年代の第1・第2工場
昭和30年代の第3工場
社運をかけた工場の拡張。
輸出履物専用工場として第2工場を建設し、布靴、総ゴム靴の本格的な輸出への取り組みが始まる。さらに、福山駅西に第3工場を新設。
塩ビ関係の設備を移設した。
1958年(昭和33年)
ビーチサンダル生産
業界第1位
昭和35年新年互礼会
社員4190人
休憩時間に移動する社員
付属診療施設の開設(昭和35年)
輸出の割合は高く、ピーク時には売り上げの40%を超えるほどに。
ビーチサンダルの生産は、月生産足数100万足に達し業界第1位となる。
これに伴い、中国地方をはじめ、九州からも社員を募り、毎年1000名を超す増員が行われた。社員数が最も多かったのは昭和35年の4,190名。県内有数の企業へと成長した。
1963年(昭和38年)
変革
工業用製品部門への進出
工業用ゴム製品生産開始(昭和38年)
特殊プレス機
総合研究所
車両用ゴム製品
昭和30年代後半。ビーチサンダルの販売競争がはじまり、価格が低下。当社では、対米輸出寄りの経営からシフトし、プレス機を利用できる工業用製品部門に進出する。
また、新分野の革新的商品開発を目指し、総合研究所も開設した。
1964年(昭和39年)
社名新たに
広島化成株式会社
当時の会社リーフレット/広島護謨工業(株)から広島化成(株)へ
当時の会社リーフレット
17年間慣れ親しんできた社名「広島護謨工業株式会社」を変更。「広島化成株式会社」とした。「護謨(ゴム)」が読みにくいこと、新分野のプラスチック事業では違和感があること、そして石油由来の合成ゴムの比率が増えていることなどがその理由。
1966年(昭和41年)
3事業部制スタート
ジャックコンべアー
アンケルペルグインゼクション
ロータリープレス
化成品事業部の製品
昭和41年。当社で初めてOEM商品、ダンロップのゴルフシューズの生産を開始する。ドイツ製の釣込機も導入した。
社会の急激な変化が企業の存続に大きく影響することのないよう、履物から化成品、工業用品と事業を多角化し、3事業本部制を開始。
第1工場で工業用ゴム製品、第2工場で履物、第3工場で塩化ビニル等のプラスチック製品の生産を行うこととする。
1967年(昭和42年)
グループ工場 操業開始
芳井化工(株)操業(昭和38年)
久井化工(株)操業(昭和42年)
美星化工(株)中山工場操業(昭和43年)
昭和43年、福山市に日本鋼管(現:JFEスチール株式会社)が進出。それに伴い、福山市では労働不足となることを見越して、既存の履物製品関連工場の芳井化工に続き、福山市を飛び出し近隣の廃校を利用した、久井化工、世羅化工、美星化工の創業を開始した。
1973年(昭和48年)
石油ショック
山陽新幹線が岡山まで開通
連続押出加硫装置
各種ゴム自動車部品
山陽新幹線が岡山まで開通した翌年の昭和48年。第4次中東戦争が勃発したことで石油ショックが起こり、物価は狂乱状態となる。原材料が高騰し、履物経営は極度の不振に陥った。より一層のコスト削減を図るため、国内での製造は機械化に移行。製造業界全体が輸入に依存する体質に傾斜していく。こうした状況から、当社では神石化工の設立をきっかけに、履物生産の子会社の生産品目も3社は相次いで自動車部品の組み立て加工へと移行していった。
1975年(昭和50年)
〜
1989年(昭和64年)
製品開発に注力
広巾床材の生産開始
ゴルフ場歩経路の施工
遮水シート
昭和50年に入り、山陽新幹線も全線開通。当社では、粉砕設備の余力を利用し、廃タイヤをベースとした全天候型弾性舗装材『スワガーデン』を商品化。道路舗装会社である日本道路株式会社を窓口に、全国的な受注活動に入る。
また、芳井化成(芳井化工を吸収する形で設立した会社)の廃塩化ビニル再生品の用途拡大を促進するべく、広巾床材を開発し、生産をスタートさせた。
1975年(昭和50年)
〜
1989年(昭和64年)
製品開発に注力
ダンロップブランドのシューズ
ダンロップカタログ第1号
これまでダンロップのゴルフシューズをOEMとして生産してきた実績により、ダンロップブランドのシューズのライセンス販売が可能となった。これらの製品は、当社の安定した基盤を築くことに貢 献した。
1990年(平成2年)
〜
1996年(平成8年)
設備の拡充
ゴム押出ライン
塩ビレザー生産ライン
自動射出成型機
平成2年に第1、第3工場の自家発電を稼動し、平成3年、4年に貫流ボイラーを設置。平成6年には、熱可塑性エラストマー(TPE)水発砲押出ラインを導入。平成7年には、熱可塑性エラストマー(TPE)ソリッド押出ラインを導入。
平成8年には、第1工場新建屋が完成する。
1996年(平成8年)
PMC経営導入
初期のころの開催風景 会社案内より
市場リサーチ
商品開発
バブルが崩壊し、日本経済は停滞期を迎える。
景気が不透明な中、当社は事業の安定成長を目指し、部門別に採算を管理するPMC経営の導入を開始した。
継続的な取り組みにより、次第に社員の中で定着し発展した。
1997年(平成9年)
創業50周年
本社(第一工場・第二工場)
創業50年を迎え、当社は、工場の効率化を推進する。
品質・環境問題を認識し国際基準であるISOの取得に取り組む。
その取り組みが実り、平成12年、工業用ゴム製品の設計、開発及び製造のISO9001認証取得。続いて平成13年に、自動車ゴム製品に認証が拡大。
平成14年、工業用ゴム、エラストマーの開発・製造・販売においてISO14001認証を取得した。
2007年(平成19年)
創業60周年
連続加硫ライン
両面コーディング
総合研究開発センター
24インチカレンダーロール
平成19年、当社は創業60周年を迎える。
工業用品事業本部、シューズ事業本部、化成品事業本部の3事業本部はそれぞれに販路を拡大。
さらには3事業に収まらない新規事業もスタート。
2007年(平成19年)
21世紀新分野への挑戦
ウォータージェットシステム
LED街路灯
平成18年に株式会社マイナス600ミリボルトを設立。水に水素を溶け込ませたか水素水を製造。平成22年には、この水素水がモンドセレクション金賞、水素水を使用した化粧品が銅賞を受賞。また、ウォータージェットで高圧水を噴きつけコンクリートを削り、補修・補強を行う工法で特許を取得。消費電力が少ない発光ダイオードを使用したLED街路灯を大阪府と共同開発を実施。使用済タイヤを再生加工したエコマーク認証製品を製造するなど、時流を読みながら躍進を続ける。
2016年(平成28年)
インドネシア進出
平成28年、インドネシアに子会社として「PT・HIROSHIMA KASEI INDONESIA」を設立。同年、化成品事業本部が、ISO14001拡大認証を取得する。
2017年(平成29年)
創業70周年
工業用品事業本部では、高い品質の製品を製造し、大手自動車メーカーからの引き合いが増加。化成品事業本部では、より環境に配慮した人の暮らしに役立つ製品を製造。シューズ事業本部では、足を科学して、履き心地がよく疲れない、365日愛用できる製品を開発している。
海外進出により製造力強化等を図るなど、これまで同様、従来の方法に固執せず、客観的かつ、のびやかな発想で推進を続けている。